ちいろば先生「新約一日一章」より
まず神の国と神の義とを求めなさい
(マタイ6章33節)
イエス様が強調したい点は、こっそりしなさいではなく、天の父の報いを第一に求めなさいということである。神の御心にかなう信仰生活をしなさいと言われたのである。
スポルジョンは「天にまで携えていけないもののためにあまり熱心になるな」と言った。人間は一度は死ぬこと、死んでのち裁きを受けることは人間には定まっていることだ、と聖書は記している。
私たちは、神の前に立たなければならない。その神の前に立つときに価値のあるものを携えて立つことができるかどうか、そのことを最終の目的としなければならない。
私たちは聖書に書いてあるから、終わりの時があることを信じる。イエス・キリストを信じたから、もう私の罪は許されたということは、終わりの日に通じるものである。
私たちの最終目標は、神の国と神の義を求めること。神の国とは神の支配ということ。神の義とは神の許しであるということ。終わりの時に私たちはどうかということを求めていくこと。そこにクリスチャンとしての立ち所がある。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン
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