ちいろば先生「新約一日一章」より
主よ、わたしをお助けください。
(マタイ15章25節)
イエス様が宣べ伝えた教えは、従来の宗教とは全く違う新しいものである。そういう新しい教えを私たちは聞かされており、新しい世界、神の国は近づいたという世界に招き入れられているのである。私たちはそういう新しい世界に招き入れられておりながら、ともすると古い世界にとどまり、新しい世界にふさわしい生活をしようとしないことが多いのではないか。
第一に、先祖からの言い伝えと新しいキリストの到来との関係がある。わたしたちは、なんの根拠もないのに、昔から守ってきたから守るのがあたりまえだという気持ちで、そういうものにとらわれて生活している場合が多い。イエス様は私たちをそういうものから解放されるかたである。解放することは、その根本原理を理解すること。言い伝えそのものが目的になってしまうと、その奴隷になってしまう。
私たちキリスト教信者のなかでも、酒やタバコをのんだりしないということが一つのしきたりになってしまい、酒やタバコをのむ人はもう信仰はないのだとすることがあるらしい。しかし酒やタバコは信仰とあまり関係がない。信仰とは神を信じることであり、禁酒禁煙ができなければ天国に入れないというものではない。神から愛された者として証ししていくため、神から与えられた自分の体を大切にしていこうとする考えがあるのであって、禁酒禁煙が目的になっていたら、それは違うと思う。
神の前に私たちがどのように生きているかが大切なのであって、戒めをどのように守るかが大事なことではないというのが、イエス様が言われた精神である。神は私たちに神の目的のためにいろいろなものをお与えになる。「おまえはこれから一生病床にあって苦しい生活をしていけ」と言われるならば、それを感謝して受けとっていくのが私たちの信仰である。神を利用して自分が楽しい生活を送るというような、自己中心であってはならない。
主よ
私たちの信仰は自分がなくなるというか、自己中心ではなく、イエス様が主の祈りで教えられたように、御名があがめられますようにという信仰であることを学びました。
主イエス・キリストの御名によって感謝し、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン
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