ちいろば先生「新約一日一章」より
行って、「天国が近づいた」と宣べ伝えよ。
(マタイ10章7節)
10章では十二使徒の選任と派遣がテーマとなっている。使徒とは、つかわされた者、権威の一切を付与された者という意味で、いわば全権大使のような者である。十二使徒は、イエス様の権能・権威を授かって、イエス様の御技を遂行していく者である。十二人の弟子が召されたのは、つかわすためである。私たちは使徒の使命を受け継ぐ者である。牧師ではないから一生懸命にしなくてもよいなどと思うことは許されない。
「病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人を清め、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい」(マタイ10章8節)。これは途方もない指令である。当時のペテロやヤコブたちの信仰歴はせいぜい1年か2年程度である。そんな新米信仰者に、とうてい出来そうもないミッションをお与えになられたのである。しかし、私たちに力があるのではない。神が与えてくださっているのだから、神が働いてくださるように、私たちは管になればよい。
あれこれ考えず、神の御用をするのだから、必要なことは全部神が整えてくださる。兵士なら食いものの心配はしてはいけない。食物を整えることは司令官のすることである。兵士は司令官を喜ばすことをすればよい。神がされることはしなくていい、私たちのするべきことをしよう。
主よ
私たちがするべきことは、一生懸命に「天国が近づいた」ということを宣べ伝え、神から与えられた機能が私という管を通して他の人に及んでいくような備えをすることです。
主よ
生きている間に使徒としての使命を果たせますように
主よ あなたが整えてくださるなら
私は成すべきことを成すだけです
召命を感謝します
尊きキリスト・イエスの御名によって、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン
0 件のコメント:
コメントを投稿