2016年7月25日月曜日

主の力強いみ手に引きげられ

ちいろば先生「旧約一日一章」より

主は彼にあわれみを施されたので・・・
(創世記19章16節)

 主がロトの手と彼の妻の手、娘の手をとって連れ出し、町の外においたので、彼らは滅びの町ソドムから脱出する事が出来た。聖書はこの事を、「主は彼にあわれみを施されたので」と説明している。

 手をとって連れ出し、町の外におかれる、ということはロトや彼の家族にとって必ずしも喜びではなかった。人間だれでも強制されると嫌なものである。信仰生活においても、できれば自分の自由意志で信仰生活をしたいと思う。

 「今はそっとしておいてください。そのうちにまた気が進むようになったら、自分から求めていきますから」、しかし、ロトとその家族が主に手を取られて連れ出されることなしにみ言葉に従い得なかったように、私たちも助け主である主の強制なしでは、決して十字架を負うことはできない。

 私たちは、み言葉の迫りからたえず自由な余地を残しておこうとする。み言葉にためらうことが悪いことではない。主の語りかけをたわむれと思うこともある。それらは誰もが持つ思いである。しかしそこに立たず、まず神の力強いみ手のうちに身をゆだね、そこから出させていただくことが教会生活において重要である。

主よ
「狭い門を通りなさい」と主に言っていただいたことを思い出します。
今のままでいいじゃないかと、楽な方をとってしまうのが私たちの常であります。
どうか主よ
道をお示しください。
あと4年です。
主の小麦の種となって豊かな土地に落ちますように。
地に落ちた種は死ぬことによって豊かな実りをもたらします。
どうぞ私をお遣いください。
主に守られ、身をゆだねてまいります。
感謝して主の御名によって、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン

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