2016年7月17日日曜日

義人 和解の使者としてのつとめ

ちいろば先生「旧約一日一章」より

主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」
(創世記18章32節)

 私はこの18章が大好きです。アブラハムの前に現れた三人の旅人、彼らを御使いと見抜き、駆け寄るアブラハム。実はその中の一人は主である。この物語を読むと、初めはただの旅人であったのに、いつのまにか主に対峙するアブラハムの物語に変化していることに気づくはず。わたしはこの章が大好きです。かっこいいです。三人の御使いが目の前を通られるなんて。

 ソドムとゴモラの罪で滅ぼそうとされた時、アブラハムは、「正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。」、と言い50人の義人がいれば滅ぼさないでくださいますか?、と主に申したが、徐々に少なくなり「我が主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します。もしそこに十人いたら・・」と尋ねたのである。すると主は「十人のために滅ぼさないであろう」と約束されたのである。

 私たちはよく「みんなが良くなる」ことを求める。家庭や職場や国の政治の状態を慨嘆する人の中にも、その誤りや欠点にのみ目を奪われている人が多い。しかし神は誤りや欠点よりも、義しさや真実を探したもう方なのである。神は常に十人の義人を求めもう方である。だから大切なことは、みんなが良くなることではなく、まず自分が義しく生きることである。そのことを抜きにして、天下国家を憂えても、結局そこからは対立と抗争以外何も生まれてこない。

 主は今日も十人の義を求めたもう。まことの義なり主イエス・キリストによる義人を求めたもうているのである。ゆえに私たちにとって必要なことは、何よりも主イエス・キリストを信じる信仰である。ただ自らの信仰を全うするために、祈り求め、つとめ励むこと、それだけである。それだけが、この世に和解の使者としてつかわされている者のなすべきことである。

主よ
わたくしを十人の義人のうちに数えられる者としてください
感謝します
主の御名によって、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン

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