ちいろいば先生「旧約一日一章」より
主は、先に言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行なわれた。
(創世記21章1節)
私たちの神は言われたように、告げられたようにその約束を成就してくださる神なのである。その神の約束をただひたすらに待ち望んでみ言葉に生きるところに、私たちの信仰があるのである。
しかし、神の約束は私たちの状況に基づいて語られるものではない。神の全能に基づいて語られるものである。信仰とは、人間の側に立ちながら、神の側に望みをおいて生きることである。神の側に生かされることである。サラが「神はわたしを笑わせてくださった」と告白しているように、神にあって笑う人生に生かされることである。
聖書にあるように、神はいつの時代にも、誰に対しても真実をもって愛してくださる方である。それゆえに、私たちも神の約束を笑う者ではなく、神に笑わせていただく者とせられたいものである。キリスト者の勝利とはこのことである。
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