2016年8月2日火曜日

邪悪で不義な時代はしるしを求める

ちいろば先生「新約一日一章」より

そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。
(マタイ16章18節)

 自分が信じようとしないで、いつまでも観客席にいてふんぞり返り、なるほど神は愛だと言ったのでは、イエスが私たちのために十字架につかれたことを信じようとしてもできるものではない。牧師の説教を聞いて、また有名な本を読んで信じるようになろうとしている場合が多い。もちろんそれは一つの導火線になるかもしれないが、それで信仰を持ちつづけることができるものではない。 

 また、神がイエス・キリストにあって召し集められ、私たちをつかわされるという教会であるがゆえに、私たちの教会は神によって保たれてきたのであり、これからも神によって保たれていくのである。そこに私たちが教会を愛し、教会に属することに大きな意義を見いだしていくゆえんがあると思う。


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