ちいろば先生「旧約一日一章」より
この所には神を恐れるということがまったくないので・・・
(創世記20章11節)
アブラハムはゲラルの人々を信頼することができなかった。神を恐れるという共通の広場を持たないゲラルの人々は何をするかわからない、そいう不安が彼をしていつわりの人となさしめたのである。
しかし、神は私たちが信じるから存在するのだろうか。神は私たちが恐れるから、その力を持たれるのだろうか。断じてそうではない。神は私たちが信じようが信じまいが存在したもうのであり、私たちが恐れようが恐れまいが、神はみこころをなしたもうのである。アブラハムはこのことに気がつかなかったのである。
今日私たちも、ただ相手の人ばかりを見ていたのでは、そこから対話の世界を作り出すことはできない。相手がどのようであれ、神は天地の主であると信じるときにのみ、私たちははじめて互いの信頼関係をつくり出すことができる。そこから対話を生み出すことができる。神を信じて生きること、それは私たちの生存の根本である。
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