ヤコブは朝はやく起きて・・・
(創世記28章18節)
信仰とは、神の語りかけを信じて生きることである。どんなことよりも神の言葉を確かとして生きることである。「わたしは道であり、真理であり、命である」との主の宣言を「アーメン」と受け入れることである。
しかしヤコブにとって天涯孤独のルズの野は決して天の門、神の家とは思われなかったように、私たちにとっても、神の言葉は決してたやすく受け入れることのできるものではない。パウロは「世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである」(Iコリント7章31節)と戒めている。
ヤコブは、朝まだ夢の覚めやらぬとき、この世の知恵も人の声もはいってこないときに起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、その所の名をベテルと名づけた。信仰が逆戻りしないように、彼はすばやく歯止めをしたのである。信仰生活にとってこれが大切である。
私たちが主の弟子としての養いを受けるため、何よりも大切なことは「すぐ」ということである。それはいかなる感動にもまさること。
「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」(ヘブル4章7節)。朝は私たちにとってみ言葉への従順をあらわす時であるゆえ、黄金の時である。
0 件のコメント:
コメントを投稿