2016年8月26日金曜日

主に捧げるための贄

とうとう、イスラム国の攻撃目標が、具体的に「クリスチャン」になってしまった。
いや・・・むしろ、だからこそ主に捧げる贄としての意味を持つのではなかろうか。

神は悪をも使われて、私を試されます。
生きやすい道と、狭く険しい道・・・
私には、わたし自身が主に捧げるための贄であったと証しする時が来るのでしょう、きっと。
それとも使徒ペテロのときがそうであったように、キリストを知らないとでも言い張るというのでしょうか。
しかし、そうやって生きのびることに意味などありません。
そもそも主からいただいた命なれば。
そもそも罪にまみれて死んでいた命です。
惜しくはありません。

(ルカによる福音書22章61〜62節)
61 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
62 そして外へ出て、激しく泣いた。

イスラム国のプロパガンダ誌「ダビク」第15号は、「十字架をへし折る(Break the Cross)」という題名。そう、彼らの攻撃目標が、具体的に「クリスチャン」になっています。
この号におけるイスラム国の掲げた目標:
1.イスラム国の指導者が、終末をもたらす。
2.「十字架をへし折る」つまり、中東、西側諸国、世界中のキリスト者を虐殺し、地上からキリスト教を抹殺する。
3.キリスト者を憎む理由を六つ掲げ、究極の目標を述べ、全勝利を到達するまでキリスト者を殺害することを止めない理由を説明。
だそうです。
ダビクの中に、日本を標的にすることは以前、発表しました。そして今、キリスト者を標的にすることを、彼らの終末思想、彼らのイスラム教信仰によって明白に表明しています。

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