勇気が出ます、最後までお読み下さいませ!
エゼキエルによる素晴らしい福音です。
再臨のイエス様がここに!
ハレルヤ! マラナタ! 主が来てください。
主に在りて
アーメン
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エゼキエル書40-43章 「幻の神殿」
ロゴスミニストリーからの学びより抜粋至聖所
エゼキエル書
41:21 本堂の戸口の柱は四角で、至聖所の前には何かに似たものがあった。
41:22 それは木の祭壇のようであり、高さは三キュビト、長さは二キュビトで、その四隅も台も側面も木でできていた。彼は私に、「これが主の前にある机だ。」と言った。
エゼキエルが幻のなかでみせられた神殿、その本堂にある至聖所の解説。
モーセの幕屋とソロモンの神殿においては香壇のあった所でしたが、ここでは単純に木でできた机のみであり、本堂の中には燭台もなく、供えのパンの机もありませんでした。そして最も肝心な、契約の箱と贖いの蓋がありません。つまり至聖所の中は空っぽだったのです。
なぜでしょうか?
それは、再臨のキリストご自身がその体を持って至聖所に入られるからです!43章に出てきますが、主の栄光がここに戻ってきます。それは主イエス・キリストご自身が入られて、至聖所で御座に着かれるからです。もはや光を灯すための燭台も、香を炊くための壇も必要ではありません。そして、十戒の石の板がある契約の箱も必要としないのです。
エレミヤ書3章16-17節には、契約の箱を必要としない預言があります。「その日、あなたがたが国中にふえて多くなるとき、・・主の御告げ。・・彼らはもう、主の契約の箱について何も言わず、心にも留めず、思い出しもせず、調べもせず、再び作ろうともしない。そのとき、エルサレムは『主の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、主の名のあるエルサレムに集められ、二度と彼らは悪いかたくなな心のままに歩むことはない。」
ゼカリヤ書には、こう書いてあります。「彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。(6:13)」王であられかつ祭司であられる方です。
そしてこの方から御言葉がでます。エレミヤ書3章、イザヤ書2章の預言には、すべての民がここに来て主の教えを聞きます。第一コリント13章に書かれているように、完全な方が来られたら、預言も知識もすたれます。もうこのように聖書を教える者たちがいなくても、主ご自身が教えてくださるのです!
ハレルヤ!
マラナタ! 主が来てください。
主に在りて
アーメン
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