2016年2月9日火曜日

イエス様が十字架にかかられ号泣したことなど

2012年の12月、夜学で大牟田看護学校に通っていた。
私は片道1時間以上を要する通学時間の間も欠かさずに聖書の学びをする習慣があった。
ロゴスミニストリーというサイトで聖書の説明かしを中心として録音されたものが、いつでも聞くことが出来るようになっていて、それをダウンロードして聞いているのだった。
もう夜中の10時くらいだろうか、帰りの運転中に突然、涙が溢れてきた。

主が十字架にかかられた意味や人間イエスの悲しみと苦しみとがいっぺんに伝わってきて、車を運転しながら涙が止まらなくなっていた。
しまいには嗚咽しながら号泣していた。
だけど帰らなきゃいけないから、泣きながら運転した。
すっかり体力を消耗するほどの勢いで泣いたのは初めてだった。

それから1ヶ月もしない、翌年の1月7日に父は他界した。
イエス様の死に号泣した私だったが、父が亡くなっても涙は出てこなかった。それよりも心停止するまでの間に、「神様が迎えに来てくれるから安心してね。」、と何度も呼びかけることが出来たことの満足感が大きかった。その瞬間だけ心拍が戻ったから、神様のことを意識できたのだろうと信じている。欲をいえばイエス様を救い主と信じてもらえたら良かったのだが、知らせを受けたときはもうレベル低下したあとだった。ちょっぴり後悔が残ったが、晴れ晴れとした気持ちで葬儀を終えたことも事実である。

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