ロゴス・ミニストリーからの学び
私たちが持っている物を眺め、それが何十億年かけて偶然に出来上がったという理屈と、「これを造った人がいるのだ。」という理由と、どちらが理にかなっているだろうか?
ICレコーダーの例
このような機能が欲しい、という概念と、具体的な設計と製造の工程があってはじめて、ICレコーダーが存在している。何十億年もかけて偶然にできるわけがない。
人間の眼のつくり
生体の眼の造りは非常に精巧に作られていて、現在のカメラ・メーカーの技術でも追いつけないほどである。
「進化論」を信じるには進化論という信仰が必要だ。
聖書では創造者がいることを前提に話している。
自然界を見れば、そこに「初めに、神が天と地を創造した。」という神の栄光が表れているのに、それを自分の知性で押しつぶしているから、知性が暗くなり、そして空しくなっているという結果に陥る。
人間には、目的が必要である。自分の生きている意味が必要である。それがなければ生きられないように造られている。
そして、神が初めにおられた、という真理のみが、その問いに答えを与えているのです。
「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の
怒りが天から啓示されているからです。なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間
や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
(ローマ 1:18-23)」
進化論と創造論は共存できる考え方です。
返信削除それに創造論こそ、信仰が必要ではありませんか。
聖書の記述から人類創造をたどると、アダムは6千年前の人物となり、若すぎます。ノアの大洪水もBC2370頃となり、エジプトも日本(縄文時代)も栄え、滅んだ形跡はありません。
聖書の年表
http://www7.plala.or.jp/juraian/bibchron.htm
>神が天地や生物や人間を創造したのは約6,000年前だと聖書に書いてあるから、地球が約45億年前にできたとする現在の科学的理論はすべて間違っているのだそうである。
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●墓に着いた時、「墓が開いていた」(マルコ16:4 ルカ24:2 ヨハネ20:1)
ところが マタイ28:2
「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」
新約における奇跡も、実際はこのような演出(脚色)が多くあります。
信徒の都合でイエスが誇大化されざるを得なかった面はあるでしょう。マタイ伝だけ十字架の場面でも地震を追加してしまいました。マタ27:51-
聖書だけが神の本で、キリスト教だけ選ばれているというのは、錯覚ではないでしょうか? パウロこそ初期の異端でありどの宗教も平等だと思います。
上記投稿より・・
削除『
マタイ28:2
「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」
新約における奇跡も、実際はこのような演出(脚色)が多くあります。』
これは脚色ではなく、そのまま読めます。
霊的にみて、天使ひとりが降りてくれば、地震くらい起きるでしょう。
コメントありがとうございます。
削除聖書の年表の記事を拝見しました。年数計算に膨大な努力を払われておられるようですが、人間の推し量る単位で聖書解釈をしても年数計算が間違ったことになるようです。時間を超越した神からの言葉を受けて、その当時の人の理解の範囲で記されたのが聖書だからです。よって創世記での7日で世界が創られたというのも、地球自転周期でいうところの1日とは違うはずなのです。聖書で「年」という書き方があっても、地球が太陽を公転する単位でいうところの「年」とは異なるはずなのです。よって、アダム創造も6千年前ではありません。
ノアの洪水も、6千年から8千年くらい前だろうと理解しております。
私たちの科学で言う放射性炭素年代測定も数万年位前になると、かなり怪しい結果となります。炭素年代測定で出たから真実だというデータ信仰にも気をつけねばなりませんね。
でも、この議論は昔から平行線を辿っていますので、この位でカンベンしてください。失礼しました。(;'∀')