2016年2月3日水曜日

荒野に呼ばわる声になる

荒野に呼ばわる声になる

自分が何を考え、
何を信じ、
何に対して心を燃やすかによって、
あなたが、
神から何を受け取るかが決まるのだ。

神は、あなたが自分の人生を、
ただほんの少し垣間見ていた所
から、
大きく動かそうとしておられる。

主イエスが来られてこの方、
私たちは、天の国を垣間見るだけでなく、
中に入ることが出来るようになった。
参考:「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)

神は言われる。
「新約の時代よりずっと、天の門は開いているのだ。」
主イエスが開かれて以来、一度も閉ざされていない。
ステパノが石打ちにされた時、彼が天を見つめると、天が開いていた。(使徒の働き7章)
ペテロが幻を見た時も、天は開かれていて、
ヨハネが、パトモス島で幻を見た時も、天は開いていた。
このように、新約の時代、門は常に開かれたままなのである。




だが、
自分が心を閉ざしていたら、
天が開かれていても意味がない。
ホテルのジョイント・ルームをご存知だろうか?
2つの部屋がドア2枚でつながっているのだが、
こちら側のドアを開けると、もう1枚ドアがあって、
両方のドアが開いて、初めて二つの部屋を行き来することができる。
これと同じだ。
神は、隔たりを裂き、チョウツガイを外して全開状態、
だけど、あなたが自分の側のドアを開けない限り、
神が用意されたスイートルームに行くことはできないのだ。
あなたが神を待っているのではなく

神が、あなたを待っているのだ。


あなたが祈ってきたこと、
あなたが望んできたこと、
祈り、宣言し続けてきたこと、
50年前、20年前に受けた予言の言葉、
諦めそうになったこともあるだろう。
でも、いま言うのです。
「あなたが私に約束してくださった事すべてを、いま受け取ります!!」
サンキューGOD!

主とは個人的な関わりが必要です。
教会でこんな働きをしているとか、
有名だとか、関係ないのです。
そんな方に主は言われます。「わたしは、あなたを全然知らない」
「あなたは、何かが必要な時、苦しい時に、わたしのもとへやって来たが、わたしは、あなたと共に時を過ごし、共に食事をして関わりを持ったことがない。わたしは、あなたを知らない。」
と言われるのです。

バプテスマのヨハネについて
エリヤの再来だとか、預言者とか、救世主だとか、
なにかと肩書をつけたがる人々に対し、
彼は言った。
「私はただの、天からの声にすぎない。」
ヨハネは名声ではなく、声という役目を担った。
通常は肩書や名声や地位を求め、何か特別な事をしたがるものだ。
正しくはこのように言うべきだ。
「肩書も地位もいらない!」
「ただ、声を与えて下さい!!!」
ただ、世を変える声になりたい。
エリヤも同じだ。
彼の名は出てこないが、ただ彼の働きのみが書かれている。
ヘブル人への手紙11章:女たちは、死んだものを蘇らせていただきました。
これはエリヤです。
神は、このような人物を探しておられる。
わたしは、何もせずして名を覚えられるより、
何かをして、名前を忘れられるほうが良い。
閉じられた天の下で、立派な名声を受けるくらいなら、
開かれた天の下で、名も無き者の方が良い。
地上で名声を求めない者が、天においてパワフルに働くことが出来るのだ。

ハレルヤ

主は、永遠の最高祭司
主は死なない
私は、主の御前に立つ。

「開かれた天の下で生きるとは?」
それは、毎日、毎時間、全ての瞬間を、
神の御前で生きようとする決意

いつか神の御前に立てるように、とよく言うが、
いま、神の御前に立とう。
天は開かれている。
みんな何らかの困難や悩みがある。
みんな弱さがあって、誰にでも試練はやって来る。
だが、神の御前に今現在立っているのだと気づくことで、
毎日が、人生が、爆発的に変わるのだ。

尻込みしそうになったとき思ってほしい。
「いま神の御前に立っているのだ。」
そう思うことで人生から罪を追い出し、
人生に妥協がなくなる。
すべて、神から出ていないものを、人生から締め出そう。
人生から恐れが取り除かれる。

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