2016年3月6日日曜日
大津キリスト教会 日曜礼拝
私はクリスチャンになってから、世間とのつながりはライトタッチで生きるようになりました。
そのほうが楽に生きられます。
住民票は天の国にありますから。
本日は聖餐式があり、
米村牧師のお説明かし後に男女合同食事会に参加しました。
大変おいしゅうございました。
ヨハネの手紙1
2:15 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
2:16 なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
2:17 世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。
「キリストにはかえられません」
聖歌521番(新聖歌428番)
キリストにはかえられません
世の宝もまた富も
このおかたがわたしにかわって
死んだゆえです
世の楽しみよ去れ世の誉れよ行け
キリストにはかえられません
世のなにものも
--
しかし世の富は、ほんとうに悪いものでしょうか?
私にはそう思えません。
金銭を愛することが良くないということなのです。
私たちは大いに世と関わりを持たなければならない。
しかし、溺れてはいけない。
クリスチャンは一定の距離を置いているべき。
神に愛を捧げるのか
世に捧げるのか
世と世の悪は滅び去るのだ。
私たちは永遠の存在、滅びるものを愛すると
魂に大きな傷を負ってしまう。
※ソロモン王の例・・・「伝道者の書」参考
世は決して満足せしめない。
世は全部を要求するようになる。
最初は少し、
だんだん、時間と金と全財産を
奪っていく力を持っている。
世とは神と対局にあるものであるが、
世も心を要求する。
人との愛も見えなくするもののひとつ。
恋愛のキケン
神を愛する。
世との正しい距離感
私たちの魂は大きくて偉大で、
神様以外のものでは満足できないように
出来ている。
この世を愛しない。
一定の距離を置いていく
これはひとつの訓練でもある。
ユダヤ民族はなぜ偉大な功績を残せたのか。
彼らは、旧約聖書を残すことで、
世に貢献をしてきた。
どうして、出来たのか。
彼らは世に一定の距離を置いていた。
イスラエル人は世に流されない習慣を
2つ身につけていた。
習慣① 安息日
6日働いて7日目に休む。
これは仕事に溺れないため。
仕事の奴隷にならないようにするため。
汝の持てるものを捨てよ。
ただ自分自身であれ。
習慣② 捧げる
彼らは収入の十分の一を捧げた。
今のような保障制度がなかったので、
病人・やもめ・高齢者を支える必要があった。
現在の私たちは、教会に集うことによって、
社会貢献していることになるのです。
(※自分を捧げる意味)
以上、礼拝時メモより記録した。
主に在りて
アーメン
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿