榎本保郎先生 「旧約一日一章」より
神は「光あれ」と言われた。
すると光があった。 (創世記1章3節)
わたしの愛唱聖句の一つ。
心が暗くなり、どうしようも亡くなったとき、よくこの聖句を口ずさむ。
そうすると、もう一度神を仰ぎ、主にある平安と希望がわがうちに湧いてくるのを覚える。
私たちは、この世に生きているがゆえに、この世の支配を受けやすい。
ガリラヤ湖での嵐で不安におののく弟子たちと、安心仕切って寝ている主イエスとの対比。
弟子たちは波に支配され風に支配されていた。主イエスは海に向かって「静まれ、黙れ」と語ることのできる権威ある神の言葉に支配されていた。
私たち信仰者は、この世にあってこの世に属するものではない。肉にあるものでありながら、肉に従って生きるものではない。神の力、神の恵みによって生きる者なのである。
自分の周りがどんなに暗くとも、神を信じる者は失望しない。いっさいが神の力の支配の中にあることを信じているから。
どんなときにも神が、「光あれ」と言われるとき、光があるのである。
このことを信じるならば、すでに我われ信仰者は勝利しているのである。
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