2017年6月7日水曜日

離婚は罪なの? 再婚はできないの?

きょうはズバリ、
離婚と再婚問題にチャレンジします。

あぁ、律法を守れない! 好きな人ができた、愛する人ができた、結婚したい。
いちど離婚してるけど、再婚は罪だ! クリスチャンとしては失格だ、もう教会にも行けない、汚れた。
・・などとお嘆きの方がおられたら、ローマ書8章を読んでほしいです。救われますよ。

ローマ人への手紙7章15節
わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。

使途パウロがいいたいのは、律法に「・・してはいけない」、と書かれてあると、それをやってしまう、というのです。
わたし、日本人ですが、この感覚はわかりづらい。してはいけないと書かれてあるなら、それを守ろうとします。ユダヤ人は、してはいけないと言われると、やりたくなるそうです。

ローマ書7章には結婚と浮気の事が書かれてあります。これを字義どおりにとらえると、奥さんが死亡でもしない限り、わたしの再婚は許されないということになります。
現実にそう理解しているクリスチャンは多いように思います。
離婚・再婚問題で苦しみぬいて、失格クリスチャンだらけになってしまいそうです。
わたしもその一人です。
そうとう苦しみました。ローマ書7章クリスチャンでしたよ。

しかしそれでも私は救われた、と宣言することができます。
「救われた」とは、いったい何から救われたのでしょう・・
それは神の怒りから救われているということです。

信仰義人(しんこうぎにん)・・・
クリスチャンである私はキリストとともに死んだので、律法はもう私に対して要求することはなくなりました。信仰によって義とされるとは例えば、わたしの働きや努力とは関係なく、まったく罪のないキリストの完全無欠の行いや思いがすべて、わたしが行ってきたことになっています。
いやー、そんなムシのいい話しがあるわけがない、そう思われますよね。
あるんです、神様からのギフトなんです。
無償のギフトは存在するのです。
まったくの話し、受け取るか、受け取らないかの差なんです。
キリストの名によって義とされるとは・・・そういうことです。

私はキリストとともに死んだ・・・
ちょっとまって! まだ実際に死亡したのではないです(笑)
そうではなくて、過去の自分とは決別したと、言い換えてもいい。
これは死んでこの世とオサラバしたのと同じくらい決定的であるということです。
あと戻りは、ない! ということ。

ここでローマ書7章に書いてある結婚の話しに戻します。
ダンナが死なない限り、再婚は出来ない、と律法に書かれてあったでしょうか・・
あれ? 少し違う見方ができるようですね。
そうなんです、別れた奥さんが死ぬ必要はなくなりました。
離婚したら、後を振り返らない。
奥さんが死んだのと同じくらい、絶対的にあとを振り返らない。
死人を憎んだって、しようがないのです。
感謝して赦しましょう。
離婚後たまたま再会しても、あとを振り返らない・・・

ローマ書7章3節
もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。
はい、もうおわかりですね。
救われました・・・

主の御名によって感謝し、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン

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