2017年6月13日火曜日

アブラハム、サラを差し出すこと2度め

聖書通読の学び 月刊誌「クレイ」参照
創世記20:1〜2
アブラハムはゲラルに滞在中、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。
「あなたは、なんということをしてくれたのか」、と言われたのは、これで2度め。
・・・これは創世記12章でネゲブ地方に大飢饉が訪れたときエジプトでアブラムが犯した過ちと同じことをまたやってる。
殺されまいとする臆病で哀れな老人、そんな表現がよく似合う。
・・驚嘆すべきことに、創世記12章でのアブラムは75歳でじゅうぶん老人のはず、妻サラも70歳くらいじゃなかろうか。それなのにエジプトの人々が目を奪われるほどの麗しい美女だったようだ。
創世記18章でサラが妊娠すると主に言われてサラは笑ったが、このときもすでに更年期を過ぎていた。
しかし創世記20章ではまたしてもアブラハムは、ゲラルの王アビメレクに、サラは妹だと偽り、王にサラを差し出している。
90歳くらいの老女であるはずのサラを、ようやると驚嘆すべきところですよ、ここは!
まだまだ女性としての魅力を保っていたということなんでしょうね。翌年にはイサク(笑う)ちゃんを産んだわけだしね!
信仰の人アブラハム、95歳にして、ようやるわー。
えげつなー、妻サラを「妹」と偽り権力者に差し出すこと2回、それでも主に愛されているのよね、アブラハム。
そうであれば、なおさらのこと、わたしもあなたも、主に愛されているんですよぉ。
ー クレイより ー
アブラハムの失態により、イサクの誕生が危うくなった。
もし神の介入がなかったなら、ユダヤ民族の誕生は歴史上なかったことになる。そしてメシア誕生も実現しなかったことになる。
この事件は、アブラハム契約が無条件契約であることを私たちに教えている。
アブラハム契約は、人間の失敗や罪によって破棄されるものではない。
次回学ぶが、この事件は神の介入によって解決へと向かう。
ほめたたえるべきは、神の御名だけである。
私たちの救いもまた、すべて神の守りによって完成する。「あなたがたは、
信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです」(1 ペテ1:5)。
試練の中を通過している人は、天に蓄たくわえられている素晴らしい資産と霊的祝福を思い、そこから力をいただこうではないか。
私たちの救いは、神の確かさによって保証されているのである。
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主の御名によって信じ、感謝します。
アーメン

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