2017年6月12日月曜日

聖書通読の学び 月刊誌「クレイ」参照


創世記19:30 ~ 38
天使によってようやく逃げ延びたロトは、ツォアルという町に住むのを恐れ、ふたりの娘たちと一緒に山に住んだ。
しかし、ふたりの娘たちは父親を相手に子を宿す。近親相姦である。
彼女たちの子孫がアモン人とモアブ人になり、忌み嫌われる民となる。

ネヘミヤ13:1
モーセの書が朗読されたが、その中に、アモン人モアブ人は決して神の集会に加わってはならない、と書かれているのが見つかった。

これは申命記23章のことである。名指しで書かれてある。

ロトとその娘たちを通して、滅びたはずのソドムが、モアブ人とアモン人という形で再生することになる。モアブとは「父から」という意味、アモンとは「私の民の子」という意味らしい。

ロトは、最初は、財産と使用人と家族に恵まれた遊牧民であった。
ところが、最後は、財産を失くし、ほら穴に娘2 人と住むようになった。
さらに、子孫であるモアブ人とアモン人は、後に、イスラエルの民に対して姦と偶の罪を犯させるようになる(民数記25 章のバアル・ペオルの事件、レビ記18:21 のモレク礼拝の禁止、など参照)。

ロトの人生が狂い始めたのは、創世記13 章にあるように、ヨルダンの低地にある、まるでエデンの園のように麗しい土地を居留地とした。滅ぼされる前のソドムとゴモラの町はそこにあった。ロトは、霊的祝福よりも、物質的祝福を重視したのである。

しかし、新約聖書ではロトのことを「義人」として評価している(2 ペテ2:6 〜9)。
ロトはソドムに住みながらも、心を痛めていたからである。

このように義人と言われたロトでさえも、誤った選択や彼の優柔不断な性格によって神の祝福からもれていったとするなら、私たちはなおさら知恵ある選択をしなければならないようだ。

ロトの弱点から、どのような教訓を学ぶことができるか・・・黙想する。
わたしは、ロト以上の酷い罪人です。
そのようなわたしですので、主との交わりに加わるとなど到底叶わぬことであります。
しかし、それにも関わらず、日々の一瞬でさえも死なずに、豊かに生かされていることができています。
これは、わたしが酷い罪人であることとは全く無関係に、一方的な神様の恵みによるものです。

天の父なる神様
わたしはひどい罪人であるにも関わらず
きょうも生かされていることを
主イエス・キリストの御名によって感謝し、お祈りをお捧げ申し上げます。
アーメン





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