2017年1月4日水曜日

キリストを突き動かした神の愛  高原剛一郎


キリストを突き動かした神の愛  高原剛一郎

ご注意)
以下の文面は作者の承諾を得ずに、自分の学びのために勝手に書き起こしたものです。
そのつもりでお読みくだされば幸いです。
本物はリンクをクリックすれば視聴することができます。
ぜひお勧めします。
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人生の目的とは何だろう?
辛いことがあっても生きていかねばならない理由って何だろう?
どうして目的がわからないかと申しますと、人生をお与えになった神様を否定するからです。
料理の道具なんかもそうなんですが、何のために存在しているのか判らないものは、それを考案した人に聞いたらいいということなんです。
存在理由のわからないものは、作者に聞けばいい。
じゃあ、人間の存在理由を知りたいと思ったら、どうしたらいいのか。
人間をお創りになった作者に聞くのです。
私たちをお創りになった方、私たちが存在する第一原因者である方、あなたに命を与えた方、あなたに人生を与えた方がいらっしゃると聖書は語るのです。
天地・万物を創造した生けるまことの神様、創り主、この方が私たちのルーツです。

ニワトリが先か卵が先かという議論てあるじゃないですか、どうどう巡りの話しなんですけども、聖書の観点から見れば簡単なんです。ニワトリからなんです。神様はすべての鳥、すべての魚、すべての生き物・家畜をそれぞれ種類に従ってお創りになった。神がお創りになったというスタートラインを失うと、どんな問題もどうどう巡りになってしまうのです。
しかし聖書は繰り返し、あなたの魂の親がいるんですよ、私たちの創り主がおられるのですよと語るのです。

1テモテ1章15節より
1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

ここではキリスト・イエスがこの世界の到来なさった理由について書かれてあるのですが、この「罪人(つみびと)」、聖書が言っている「罪」とはギリシャ語で「ハマルティア」、的外れという意味があるのです。暗記するなら。罪の深みにハマルティアと覚えるのはだめでしょうか。ちなみに悔い改めのことをメタノイアと言います。これを逆から読むと、アイノタメ。何でですねん! 悔い改めはアイノタメにあるのですよ。(会場から笑い)
的外れとは、本来あるべきことからはずれてる、神様なんかいないという考えて生きていることを聖書では「罪人(つみびと)」というのです。

創造主を離れて、人と比べて、劣等感持ったり、足をひっぱったり、自分自身を貶めたりしながら、命のルーツが切れることによって死に向かって着実に進んでいってるというのが人間です。そして人間にはいちど死ぬことと、死んで裁きを受けることが定まっていると聖書では語るのです。この人間を罪の究極の結末である地獄から救うためにキリスト・イエスは来られたというのです。

罪とはいったいなんでしょうか。創造主から離れることです。離れた結果、神未満のものを恐れおののくようになりましたが、生きている時のみならず、その人生の最後に大変な結末が待っているのです。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」
罪とは 神のひとり子である方が、この世に生まれてくださった。創造主であられるのに、赤ちゃんとしてお生まれになってくださった、というのですが、これはあなたがナメクジになるよりも屈辱的なことです。わたしたちがモノ言わぬ虫になることよりも、宇宙の創り主が人としてこの世に来られたというのは尋常ならざることであります。
神様は人格を持った方であります。人格を持った神に似せられて私たちもは創られました。「知・情・意」、人格を持った被造物の人間が罪に翻弄され裁きに飲み込まれようとしているのを見たときに、キリストは黙って見過ごすことは出来なかった。人だって、自分の身内に似たものが虐められているときに、まるで身内が虐められているように感じ、飛びかかって助けようとします。キリストが最も崇拝している神に似せられて創られてる人間が壊れていくのを、滅びていくのを、ダメになっていくのを、指をくわえて見過ごすことはお出来にならなかった。その動機を敢えていうなら、「愛」です。神は実にそのひとり子をお与えになるほどにあなたを愛してくださった。そしてこの方は天から地上に来てくださった。この方はお説教して帰ったんじゃない、全く罪のない生涯を送られたこのお方が十字架にかかって、本来人間が死後に受けるべき永遠の裁きを身代わりに引き受けてくださったのですよ。そして死んで墓に葬られ、三日目に死を突き破って蘇ってくださいました。いま生きておられる方、生きておられるので皆さんの心をぜんぶ読んでおられる方、その方が創り主イエス・キリストなのです。これは真実であり、歴史的な検証に十分耐えうるものなんです。死んで蘇ったキリストを信じた弟子たちは、この世の果てまでこの真実を伝えてくれました。

そのまま受け入れるに値するものです。
ハブに噛まれた時に使う抗毒血清、あれはハブの毒を薄めて馬に注射し半年がかりで出来た血清を成分分離して抽出して出来たものを人に使えるようにしたものなんです。しかしこれを使わずにただ見ているだけでは効き目がない。説明を聞いているだけでは自分を救うものにならないのです。死を打ち倒したキリストの福音は、説明を聞くだけではなくて、自分の救い主として受け入れる必要があるのです。
キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。
いかがでしょうか、自分の救い主として、そのまま、額面どおり受け入れるということがとても大事になるのです。
しかし今まで見たこともないものを聞いただけで信じるのは、なかなか難しいことではあります。
キリストがこの世に来て、もたらして下さったもの、それは罪人を救う福音です。この福音をぜひ自分のものとなさって下さい。

キリストはまたお越しになりますけども、その時にはクリスチャンたちを一挙に引き上げるために来てくださるのです。どうぞその前にキリスト・イエスを信じて下さいますように、心からお勧めします。

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