デナはその地の女たちに会おうと出かけて行った。
(創世記34章1節)
私たちの生活は人間という言葉が示すように、人との交わりなくしては成り立たない。
しかしレカブ人たちはカナンの地に住みながら、信仰の純粋性を守る為に、異教のカナン人との交わりを絶ち、荒野をさまよう生活をしていた。彼らはカナンの地を神から与えられたものとして受け取るべきであったのに、世から逃れることだけを考え、世につかわされていることに気がつかなかった。それゆえに彼らは滅んでしまった。
私たちもこのレカブ人のようになりやすい。信仰の純粋さを守ることばかりに気を取られ、神からこの世につかわされた者であることを軽視する。神の子が僕(しもべ)のかたちをとり、人間の姿になられて世に生まれ、罪人と交わりを持たれたように、私たちも積極的に世に出て行く者でなければならない。
しかしデナは神につかわされないのに、「その地の女たちに会おうと出かけていった」のである。彼女は、エレミヤが偽預言者について語ったように出かけていき、その結果、世のとりことなり、自分も相手も、そして自分の兄弟たちをも罪におとしいれたのである。
主のとりなしの祈り「私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守ってくださることであります」(ヨハネ17章15節)
私たちも、このように慎み深く、かつ大胆に世に生きる者となりましょう。
(中山感想)
高みばかり求めていると、兄弟姉妹の欠点ばかりが目についてしまいます。
そうではなく、むしろ彼らに使える僕(しもべ)の態度をとりましょう。
イエス様は、弟子たちの足を洗われましたよ。
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