ちいろば先生「旧約一日一章」より
そこに祭壇を建てて、これを
エル・エロヘ・イスラエルと名づけた。
(創世記33章20節)
ヤコブはエサウが四百人を率いてくるのを見たとき、非常な恐れを感じた。一方で単純素朴な兄エサウは弟ヤコブを認めるや、走り迎え、彼を抱き、泣いて喜んだ。
ヤコブの心は穏やかでなかったのだが、これは兄エサウを騙したこともあるが、それ以上に、「お前の国へ帰り、お前の親族に行け、私はお前を恵もう」と言われた主の約束の言葉を忘れたところにあった。
しかしその後、ヤコブはシケムで祭壇を建てて、これをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。イスラエルの神は神であるという意味である。彼はここで祝福の神を思い出し、もう一度その神の前に立ったのである。
大切なことは、いつでも「静まってあなたこそ神である」と主に向かって告白することである。
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(中山感想)
ヤコブも狡猾で酷い男であるが、次の34章を読むと分かるように、彼の子孫も酷い。娘が陵辱されたということで相手の部族の男たちを皆殺しにするような奴らである。なんでこんな酷い奴らが聖書に載っているのだろうか。しかし神様はご自分の栄光をお示しになるために、こんな酷い奴らでもお用いになられるのである。いや、酷くてどうしようもない奴らだからこそ、主の栄光はますます光を増すのである。
主の学びを感謝します。
アーメン