2015年10月17日土曜日

VISION ヴィジョン

VISION ヴィジョン

わたしが体験するヴィジョンで共通していることは、案内人・ガイド役の人が必ずいるということ。
御使い・・とか、精霊さま・・とか、言いませんよ、よう言いません(笑)
ただのバイクばかですから。
とくにクリスチャンとして受洗してからの強烈なビジョン・幻(まぼろし)について書き残したくて。
ビジョンを得た直後は、まさに現体験するのと違わないので目が覚めたときに思考がそのままの状態になっており、現実生活とのギャップで混乱するんです。
こんな事を書くと、また現実逃避しやがった、と思われるかもしれませんが、ふだんはただのバイクばかです。(笑)
ただ・・聖書の学びは熱心にやってます。今はイザヤ書の学び中。
いつも参考にするのは、明石宣教師が主催するロゴス・ミニストリー
http://www.logos-ministries.org/j_frame.html
聖書の深い学びに飢えてるんですよねー。
今朝もそうだった。そこは再び訪れた場所だった。言葉ではなかなか表現しづらいが、工場の跡地のようでもあり、もう草ぼうぼうで、一方には2階建長屋のような居住区がある。そこに住んでいる人も居るのだが、しかたなく住んでいるような、ホームレスの人たちのようでもある。
感情的には、わたしはどうやら、そこに住む人達をなんとか助けようとしている立場にあるようだった。しかも土地の所有権を私が手にしているようなのだ。
なんとか助けなければと焦っているところで目が覚めて、でも土地の権利なんか無いことに気づいて、「あれ? なんでだろう?」と混乱してしまった。
これの解釈をすると固定観念化してしまうので、よくないと思うのだが。
わたしは、無重力で漆黒の闇に飲まれ孤立し、ガクガクと震えがくるほどの酷い孤独感を味わった跡に聖書の御言葉にふれて救われた経験を持っており、主の臨在なしには生きられないのです。
聖書を学んでいると、へりくだって贖い出され、主の恵みに預かり主の御国の住人となった者は、主の財産と権利を任されており、それを使って主の繁栄の担い手となる・・・という内容のことが記されています。
きっと私もなにやら使命を帯びて、主の権利を身につけて伝道の働きをお手伝いしているビジョンを見せていただいたのだろうと思います。
わたしがするのではなく、主がなさいます。
主の御名によって感謝します。アーメン
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これははじめに、受洗後に見せられた強烈なビジョン。
いきなり、まばゆいばかりの白い仔馬を引き渡され、「じゃあ、頼んだよ」と行って、急いで帰ってしまった。(誰だろう?)
ここで、がばっと目が覚めて、「うま、馬・・・餌を買ってこなきゃ・・・」と焦っていた自分がいた。
この馬の正体は、よく判らないが、なにかを任された事は確かなようだ。
Y牧師によると、「その馬は、きっとアナタ自身ですよ、聖書にも馬は出てくるしね♪」と言われた。
わたしは馬(笑)・・・なかなか想像しづらいな。
よく飼いならされた馬は、主の御国で使役につくのだろうと思いますよ。
馬・・・(笑)